写真で見る ふるさと いまむかし

第9回  松川大橋


@現在の松川橋

 宮〜永野〜遠刈田を結ぶ県道12号線(県道白石上山線)は、たくさんの人とモノが行き交う町の大動脈です。今回は、この道に架けられた『松川大橋』のいまむかしを追いかけてみましょう。

 皆さんは羽前街道という道をご存知でしょうか?宮〜永野〜町尻(花町)〜四方峠〜川崎〜笹谷峠を経て山形へと通じる古街道です。現在、県道12号線の一部となっている宮〜永野の区間は、この羽前街道の道筋が元になっています。
 松川は川幅が広く流れも急なため、往来する人々にとっては難所だったことでしょう。初めて橋が架けられた時期は不明ですが、今から130年ほど前には『松川橋』と呼ばれる、長さ15mほどの木製の橋が架かっていました。当初は人や馬、荷車等が通行するだけでしたが、今から90年ほど前になると自動車も通行するようになったので、松川橋も、時代に応じて補修や架け替えが行われたものと思われます。


A昭和37年開通当初の松川大橋。歩道は未設置だった

 昭和37年(52年前)、鉄筋コンクリート橋脚の永久橋『松川大橋』が開通します(写真A)。この年は蔵王エコーラインが開通した年。観光客のほとんどは宮から来訪するため、以前とは比較にならないほど交通量が激増することを見込んでの新橋設置でした。
 交通量増加に対応するために設置された松川大橋でしたが、歩道がないという欠点がありました。これは松川大橋に限ったことでなく、当時開通した橋の多くも歩道を備えていませんでした。松川大橋の歩行者たちはびくびくしながら車道の端っこを渡っていました。
 そんな中、凍結した橋の上でスリップした自動車が集団登校中の児童の列に突っ込み、死傷者が出るという痛ましい事故が起きてしまいました。
 県及び町はこの事故を重く見て早急に対策を練り、事故から2カ月後の昭和49年1月(40年前)には、旧松川橋の位置に木製の歩行者専用橋が仮設されました(写真B)。
 その後、松川大橋の橋脚を幅増しして歩道の設置工事が行われ、昭和52年(37年前)に現在の形となって歩行者、自動車ともに安全に通行できる橋になったのです。


B昭和49年松川歩行者専用橋の開通式の様子

ページの先頭へ