写真で見る ふるさと いまむかし

第7回 軽便鉄道


写真@ 軽便鉄道の機関車。見学に来た学生たちの記念写真

 ご存知の方も多いでしょうが、昔は町内にも鉄道が走っていました。仙南温泉軌道、通称「軽便鉄道」です(写真@)。今回は、大正11年(92年前)に全線開通して以来、15年間だけ営業していた幻の路線・軽便鉄道の当時のようすを紹介します。

 仙南温泉軌道は、大河原から村田経由で遠刈田を結ぶ私鉄路線で、町内では平沢、円田、永野、疣岩、遠刈田に駅や停車場が設けられ、住民や旅行者の足として、また、珪藻土などの輸送手段として利用されました。「軽便鉄道」という呼び名で親しまれていますが、これは、線路や機関車などの規格が標準より低い鉄道のことで、その分低コストなため各地の私鉄で使われました。当時、人々の主な移動手段は徒歩でした。そんな中、文明的な蒸気機関車が走ることになったのですから、地域住民の期待はとても大きかったことでしょう。


写真A 平沢駅。開業当初(大正11年ごろ)のようす


 写真Aは平沢駅。現在の平沢駐在所の向いにありました。左奥の小さな建物は駅舎。右手の大きな建物は、平沢・円田地区で盛んに採掘されていた珪藻土の出荷倉庫です。写真Bは遠刈田駅。現在のさんさ亭の敷地内にありました。利用者の多くは山と温泉が目当ての旅行者でしたから、遠刈田駅は大にぎわいでした。
 大きな期待とともにスタートした軽便鉄道でしたが、時の流れは優しくありませんでした。軽便鉄道開通とほぼ同時期、白石・大河原駅から遠刈田温泉に向かう乗合自動車が開業します。乗合自動車は運賃こそ割高でしたが、軽便鉄道に比べてはるかにスピードが早かったため、多くの旅行者が利用するようになりました。軽便鉄道は運賃値下げなどで利用促進をはかりましたが、業績を回復させることはできず、昭和12年(77年前)に廃線。15年間の歴史に幕を閉じました。機関車は他の私鉄に、線路などはクズ鉄として売り払われました。路線の一部は道路として利用されましたが、大半はその後の開発で姿を消しました。今では、ごくわずかな遺構を除いて軽便鉄道の痕跡は残っていません。まさに「幻の路線」なのです。



写真B 遠刈田駅。駅舎の前に蒸気機関車が停車している


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